寄り道の、その先で
土佐原桜の会と、風景を守る人々の物語
桜を植え、風景を守る ──2005年の開墾
2005年12月、寄地区北西部の小高い丘の上に位置する土佐原(どさばら)地区で、住民の手により茶畑跡の斜面が開墾され、最初の抜根作業が行われた。それが「土佐原桜の会」のはじまりだった。
声を上げたのは地元住民の松本さん。放棄され荒れてゆく茶畑の姿に、「ただ荒れていくのは忍びない。花でも咲けば、人の目も足も戻るかもしれない。」との思いから、仲間に声をかけ、桜の植樹を提案した。
2006年以降、数年にわたって植樹作業や手入れが行われた。「荒れたままにしない。」その一心で集まった人々の手で、土佐原の斜面は桜の丘へと変わっていった。


桜が咲いて、「ああ、今年も春が来た」って
思ってくれれば、それでいいんだ
土佐原枝垂れ桜祭のはじまり
2007年春、第1回の「土佐原しだれ桜まつり」が開かれる︒地域で最も古い「みやま淡彩桜」が咲く民家の庭先で甘酒の振る舞いや地元の野菜などの販売を行い、地域で最も古い『みやま淡彩桜』がささやかだがあたたかな交流の場となった。
以降、毎年春になるとしだれ桜まつりが続けられ、地元の人々だけでなく町外からの訪問者も、丘の上のこの静かな集落を訪れるようになった。町からの協力も得ながら、看板設置や仮設トイレ、送迎タクシーの運行なども行われ、地域を挙げた行事となっていった。
「桜が咲くから、今年も草刈りやるか。」そう口にするのは、小宮さん。初期から松本さんと共に桜の植樹に携わり、会の運営にも尽力してきた。
「別に大げさなイベントをやってるわけじゃない。でも、花が咲いて、ふらっと見に来る人がいて、甘酒でも飲んで帰ってくれれば、それでいいと思ってるんだよね」
しだれ桜まつりは、2007年から2019年まで毎年開催されていたが、2019年から4年間はコロナ禍により中止を余儀なくされた。だが2023年、出店は控えながらもまつりは再開。2024年には甘酒の提供も復活し、2025年には4日間の開催となり、再び地域に春の訪れを告げる風景が戻ってきた。
「咲くからやる」─それが続いてきた理由
草刈りや整備作業は年に数回。夏の斜面での作業はときに過酷だが、それでも手を止めないのは、「咲くから」という、ただそれだけの理由だけだ。
「俺たちももう歳だけどさ、桜が咲くと『やらなきゃ』って思うんだよな。」
誰かに頼まれたわけでも、報酬が出るわけでもない。それでも20年、桜の木とともに歩んできた。その背景には、自分たちが見てきた風景を「残したい。」という思いがある。
桜が咲くたびに、思い出される風景
「こういう話を聞いてくれるのはうれしいよ。記録に残るってのは、大事なことだな。」と松本さんは言う。
桜が咲くと、人は立ち止まり、空を見上げる。そしてふと、あの斜面で黙々と手入れを続けた人々の姿を思い出す。桜は、誰かの記憶を呼び起こす。
「誰がやってるとかじゃないのよ。桜が咲いて『ああ、今年も春が来た』って思ってくれればそれでいいんだ。」そう言って、小宮さんは大きく育った桜の木々を見つめる。
20年続いてきた桜の会の活動は、名もなき手が繋いできた地域の記憶だ。2025年、桜の会は20年目の春を迎えた。かつての茶畑は今、静かな桜の丘として多くの人を迎えている。