寄り道の、古道にて
静かな山里で道をつなぎ、人をつなぐ。
古道に込められた15年の思いと未来への願い。
静かに流れる、虫沢の日々
「この川沿いの田んぼ、昔はホタルがいっぱいだったんです。」
そう語る飯田さんが暮らすのは、虫沢地区。35年以上前に移住し、静かな山あいの集落で新たな暮らしを始めた。虫沢川のせせらぎが響くこの土地に魅せられたのは、自然の豊かさと人のあたたかさだった。
「来たばかりの頃は、本当に地域の人たちが歓迎してくれた。『よう来てくれた』って。そんなふうに迎えられたのは初めてだったから、うれしかったですね。」
町内会や組織での行事も多く、地域とのつながりが自然に生まれる。「子ども神輿」や「悪魔祓い」といった伝統行事を通じて、子どもたちも地域の一員として育っていった。
ホタルのひかりと、復活の願い
「家の中までホタルが飛び込んでくるような場所でしたよ」
かつての虫沢は、初夏になるとホタルが乱舞する幻想的な風景が広がっていた。しかし、人の暮らしや環境の変化によりその姿は年々減少。そこで立ち上がったのが、地域有志による「虫沢源平クラブ」だった。
「ホタルを守ろうと、みんなで水路の整備をしたり、カワニナ(ホタルの幼虫の餌)を育てたり。気がつけば、15年も続いていました。」
ホタルをきっかけに集まった仲間たちは、地域の自然を守る活動へと広がっていく。
やっぱり人のあたたかさですよ。
ここには、それがある。
古道をつなぐ、7人の志
飯田さんがもうひとつ力を注ぐのが「虫沢古道を守るの会」だ。炭焼きの名残をたどり、かつて人が往来していた山道を整備し直す活動を、7人の有志で始めたのが2010年のこと。
「山北との境にある『花じょろ道』を再生させようって、まずは歩いて、地元の年配の方から話を聞いて。ああでもない、こうでもないと道を探したそうです。」
開通式では山北側と松田側から歩いてきた参加者が両町の堺にまたがる「ヒネゴ沢乗越」で合流し、高松山頂上をめざしました。頂上は一面雪化粧で開通式を祝っているようでした。飯田さんは「まるで昔のお嫁入り道のようですね。」と笑う。
現在も年に数回、町の協力も得て案内看板の設置や道の整備を続けている。道をつなぐことで、地域の記憶もつながっていく。


未来につなぐ子どもたちとの時間
「小学生と一緒に階段を作ったり、水切りを設けたりしてね。あの経験がいつか思い出になってくれたら。」
虫沢古道を守る会では、小学生との体験学習も行った。自然の中で過ごした時間が、子どもたちの心にどのような種を蒔いているのかはまだわからない。でも、それが地域に戻るきっかけになったら、と飯田さんは願う。
「いつか『昔ここで階段作ったんだよね』って思い出して、戻ってきてくれたら嬉しいよね。」
そんな思いを込めて、今も草を刈り、道を整え、子どもたちの笑い声が響く風景を守り続けている。
総合力で、集落の未来を
最後に、これからの虫沢について尋ねると、飯田さんはこう答えた。
「虫沢だけでなくて、他の集落も、みんなで協力して、寄全体を盛り上げていけたらと思ってます。」
耕作放棄地が増え、伝統行事も姿を変えつつあるなかで、地域の風景やつながりをいかに守り継いでいくか。その鍵は、やはり“人”なのだろう。
「やっぱり人のあたたかさですよ。ここには、それがある。」
寄の山間に流れる、あたたかな風と人の営み。その記憶を、次の世代へとつないでいく——飯田さんの静かなる情熱は、今も虫沢の風景の中に息づいている。