寄り道の、くらし守(もり)
世帯わずか9。中山の山あいで続く暮らしの記憶と、
人の気配がにじむ風景。
中山に生まれて
寄のほぼ中央に位置する中山集落。面積は寄の中で最も小さく、山々に囲まれた静かな谷間に広がっている。現在、自治会に所属する世帯はわずか9軒。点々と並ぶ家々には、昔ながらの暮らしが今もそっと息づいている。
「私は生まれも育ちも中山。両親も、祖父母も、みんなここで暮らしていました。」
そう語るのは自治会長の井澤さん。この中山の地で生まれ育ち、今も変わらず暮らしている。最盛期には20軒以上の家が並び、にぎやかだったというが、今では井澤姓のほか、川口、松本といった昔から中山に住んでいる家系もごく限られたものになった。
「子どもの頃は、小学校の1クラスに27人いました。今はもう、地域全体で20人くらいです。」
少子高齢化が進んだ現在でも、井澤さんは「住み慣れた場所だから」と語り、変わらぬ日々を中山で悠然と過ごしている。


なんだかんだ言っても、やっぱり寄が一番。
ここがいちばん落ち着くんです。
川のある風景
井澤さんの記憶のなかで、とりわけ鮮やかに残っているのが、夏の中津川の風景だ。
「昔はプールなんてなかったから、川をせき止めて泳いでましたよ。あれは本当に楽しかった。」
寄にはいくつかの川遊びスポットがあり、集落ごとに『縄張り』のような場所が決まっていた。当時の集落の子どもたちは、競うように川遊びに夢中だったという。
「『ハヤ』って呼んでた魚をよく釣ってました。小さな魚だけど、夢中になって追いかけてたなあ。」
澄んだ川の流れ、冷たい水、キラキラと反射する光。川は子どもたちにとって格好の遊び場であり、自然とふれあう最初の場所でもあった。近年は河川
が整備され、かつてのように川をせき止めて泳ぐことは難しくなったが、それでも川の記憶は今も井澤さんの心に残り続けている。
少ない人数で回す自治
現在の中山では、空き家を利用して二拠点居住をする人々の姿も見られるようになってきた。しかし、実際に地域活動にまで関わるケースはまだ少なく、自治会の運営は依然として限られた人数に頼っている。
「年に数回、自治会館の清掃や草刈りをしています。人手が足りないので、一人ひとりの負担が結構大きくてね。」
井澤さんは現在、自治会長を務めて5年目。さらに民生委員や青少年問題協議会の役員なども兼ねており、地域のさまざまな役割を一手に担っている。
「やれる人がやるしかない。そうしないと、回らないんですよ。」
頼れる人が少ない分、ひとりの存在がとても大きい。それでも、誰かがやらなければ地域の暮らしが立ちゆかない──そんな切実さのなかで、井澤さんは静かに役目を引き受けている。
過ぎてゆく時間と変わらぬ気配
「昔は魚屋が3軒、雑貨屋もあって、酒屋もあった。とにかく便利だったんですよ。」
今では中山に商店は一軒もなく、必要なものは車で町まで買い出しに行く生活。それでも、井澤さんは穏やかな口調で語る。
「なんだかんだ言っても、やっぱり寄が一番。ここがいちばん落ち着くんです。」
人の数は減り、山里の風景は少しずつ静かになっている。それでも、家々の窓から漏れる明かり、畑に残る足跡、手入れされた草道には、確かに人の気配が残されている。
中山の道を歩いていると、その気配がふと風にのって伝わってくる。誰かが生き、手を入れ、暮らしを重ねてきた証。それは今も、この小さな集落に息づいている。