-YADLOG- Vol.01

宇津茂地区 仙口オーナー 川野美智子さん

寄り道の、千日宿

製材所から始まった寄の一角で、
民宿・食堂・スナック・グループホームまで
時代を編んだ女性の物語

製材所の娘として

松田町寄の中でも、民宿仙口のあたりは特に水が豊かな場所。父が建てた製材所は、やがて時代とともに役目を終え、川野さんは結婚・出産を経て、33歳の時に寄へ戻ってきた。

「ちょうど、うちの古い家を貸していたのだけど返してもらってね。戻ってきてから、山登りの人たちが泊まりたいって言うようになって。そこから民宿を始めたの。」

最初は小さな山小屋のような民宿から始まり、やがて「仙口」という屋号で建物を構え、昭和55年には正式にオープンした。国の観光施設向け貸付制度を利用して借り入れた金額は当時の3500万円。「これを返すのが大変だったのよ。」と苦笑いで語る。

それでも「やるしかなかった。」と振り返る美智子さんの姿勢には、土地に根差した暮らしを諦めずに続けてきた覚悟がにじむ。


「来てもらった人にまた来てもらうこと」

それだけを考えてきたの

レジャーブームと「若葉まつり」

仙口の全盛期は、まさにバブルの時代。宿泊予約は夏場3年先まで埋まり、ボーイスカウトや登山客など団体客でにぎわった。

「1日に150人っていう団体もあったね。炊き出しのおばさんが5〜6人がかりだった」

そんな中、地域で始まった「若葉まつり」は、川野さんが中心の一人として立ち上げた企画だった。

「地域の人の伝手で、川崎からお神輿の担ぎ屋さんに来てもらってね。うちの庭で一斗樽で子供神輿を作ったのよ。」

1977年に始まったこのまつりは、現在も寄の春の風物詩として毎年開催されている。

「最初はただ楽しいことをやりたくて始めたんだけどね。気づいたら、地域の名物になってた」

地域の人たちと一緒に積み重ねた季節の行事が、やがて町の文化となっていった。

グループホームへ、そしてサウナ付き民宿へ

平成に入ると、観光客の数が徐々に減少。民宿業が陰りを見せる中、川野さんは次の一手を打つ。2002年、県内初となる介護保険適用のグループホームを2階部分に開設した。

「観光客が10分の1に減っちゃって。でも、介護保険制度ができたから、これでまた活用できると思ったのよ。」

地域の人材と協力しながら、民宿の運営を一部の残しつつ、地域福祉の現場へと展開。さらに最近は、民宿の施設の奥にあるログハウスを改修し、一棟貸しのサウナ付き宿泊施設として再生中だ。

「サウナは、30年程前に、自分が入りたくて作ったの。そしたら、若い人たちが『面白い』って言ってくれて。」

子ども用の滑り台や池も整備したとのことので、これからは「お父さんがサウナに入っている間、子どもたちは外で遊べる場所になるの。」と笑う。

バレルサウナは2025年秋に完成予定

「人が来れば、また来てくれる」

商売における信条を尋ねると、川野さんはこう即答した。

「一人逃がしたら百人逃がす。来てもらった人にまた来てもらうこと。それだけを考えてきたの。」

昭和から平成、そして令和へ。民宿、スナック、食堂、グループホーム、サウナ付き民宿と、時代と地域のニーズに合わせた次の一手を打ち続けてきた川野さんの姿は、寄の女性たちのたくましさを体現している。

「今が、最後の挑戦だと思っているの。お客さんが『また来たい』と思える場所を、もう一度作ってみたいのよ。」

その言葉の裏には、積み重ねた経験と人の記憶が、静かに息づいていた。次の春も、夏も、ここにはまた未来へのバトンを引き継ぎ、新しい物語が生まれていく。

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